遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

幼少期

カタクリの花の想い出

春が来て、今年もカタクリの花が咲いて、散った。 小学生の頃、近所の人に虫取りに連れられて、近くの丘によく行った。そこは、春先に一面に奇麗な花が咲くところだった。http://post.hokkaidolikers.com/jp/detail/515また、この花の咲く頃に、ある希少種の…

ある小児科の想い出

私の母は、ある大病院の小児科の品田先生の大ファンだったので、38度以上の熱を出した場合は、私は必ずその病院に連れていかれた。ただ、その病院、突然、都合で先生が不在のことがあった。そんな時、病院の向かいにあった小児科に何度か通った。その病院…

ボタン屋の想い出

街の中に今もあるボタン屋についての想い出を書きたい。 そのボタン屋は、問屋街の一角にあり、新装開店した直後だったらしく、店の中はいつも裁縫好きの女性で混雑していた。当時、私の母は、洋裁と和裁を習っており、作品制作のために、そのボタン屋に、月…

一枝ちゃんのこと

小学生の時に、最初に異性として存在を意識したのが一枝ちゃんである。品が良く、清潔感が一際目立った子だったが、人一倍潔癖症的な雰囲気が強すぎ、近寄りがたい人だった。だから、私は彼女に話かけた記憶がまったくない。それから10年後、大学生になっ…

真希子ちゃんのこと

小学生時代、タレントのスザンヌと顔つき、体型が似ている女の子がいた。目はうさぎのような奇麗な目をしていた、生え際を強調したヘアスタイルだった。しかし、スザンヌと決定的に違うことが一つだった。性格が実にしっかりしており、対象を恐ろしいほど見…

ひとみちゃんのこと

近所の女の子で決して人を陥れるところがなかったのが「ひとみ」ちゃんである。いつも鼻水をたらし、ぐずぐずしていた子だったが年頃になると見違えるようにかわいらしくなった。頭もそこそこ良く、勉強すればできた子なのだろうが姉と同じ轍は踏むまいと決…

敦子ちゃんのこと

私と敦子ちゃんは小学一年生の時からの知り合いである。私が通っていた書道教室に、彼女は弟さんと二人で来ていた。二人はおとなしく、いつも礼儀正しかった。それと比べると、私はいい加減でお調子者だったかもしれない。私は、自分ではうまい字だとは思わ…

礼子ちゃんのこと

近所に、同じ年の女の子が3人いた。その中で一番安心できたのが礼子ちゃんだった。色白でふっくらして、目がパッチリした綺麗で穏やかな子だった。他の2人は、トランプ遊びしながら途中でルールを変える狡猾なところがあったり乱暴狼藉者で母親に小遣いを…

銀行の支店長の娘さんのこと

音楽教室に、ある地銀の娘さんが来ていた。三つ編みがよく似合う、スラっとしたかわいい女の子だった。あるとき、家に呼ばれて母とお邪魔してみると、そこは質屋の蔵のような広い建物の支店長社宅だった。弟さんもいて、とても話しやすそうな一家だった。銀…

遠い山並み

晴れた日は家から遠い山並みがくっきり見えた。いつも上の方が冠雪しているようだった。慣れ親しんだ風景だった。が、母の死をきっかけにまったく想い出せなくなった。それから20年近く経過し、ある晴れた日にふるさとに向かう途中、丘の上を車で通り過ぎ…

祥子ちゃんのこと

オルガン教室に4年間ほど通った時期、同じ教室の女の子が近所に住んでいることを知り、母親同士仲良くなり、私は、祥子ちゃんの存在を知ることになった。祥子ちゃんは、一人っ子。お父さんは学校の先生だったと思う。目がくりっとして黒目がはっきりしてい…

直子ちゃんのこと

小学校1~2年の頃、私は近所の直子ちゃんと仲良しになった。直子ちゃんの家は、大きな3角屋根の家だった。お父さんは公務員で苗字は有名な武家と同じだった。明るくまったく気疲れしない子で、近所の意地の悪い女の子とは別格だった。私は、直子ちゃんが…

英会話学校のこと

今は、小学校で英会話を習わせる時代になったが、私の時代は、中学以降の必修科目だった。母は、受験競争を有利に進めるために、小学校5年生の私を街の英会話学校に通わせた。その学校は、GHQの通訳?をしていた先生が開設した学校だった。異常にアメリ…

病院での想い出

小さい頃、小児マヒが流行していた関係で、ちょっとでも高熱を出すと、大きな病院にバスに乗って連れていかれた。その病院は、衛生が行き届いた病院だった。入口に白い服を着た下足番のオバさんが2人いた。その横に、受付係が2人いて、その奥に会計窓口が…

駄菓子屋の想い出

誰でも小さい頃、親に駄菓子を買ってもらった想い出はあると思う。私もあった。その店は、病院帰りのバス停脇の煙草屋だった。白髪混じりの痩せたお爺さんが店番をしていた店だった。私は、メロンパンが大好きだった。そして、あれから何十年たった今でも好…

たった一度一緒に遊んだ幼なじみのこと

私には、一度しか遊んだことはないがいつまでも忘れない幼なじみがいる。この幼なじみの家は、地元で有名な老舗の店だった。ある時、父に連れられ、不思議な屋根の店に行き、その店のソファーで休んでいたところ、店の事務室から二人の女の子が現われ、店の…

やけどの跡

実は、幼少期、たぶん3歳前後、鉄瓶のやかんのお湯で右の頬に大きなやけどしたことを鮮明に覚えている。母の動揺が尋常でなかったことが覚えていた最大の理由なのだ。最初の病院、たぶん厚生病院に行ったときに医師の反応が良くなかったのを悟り、その足で…

古い洋館にまつわる想い出

私にとって忘れられない洋館がある。幼少期、母が、洋裁、和裁を習いに行き、その発表会で連れて行かれた洋館である。その洋館の天井は3メートルくらいで、冬は寒く、スリッパなしでは歩けなかった。実は、夏、ここまで歩くのがいやでいやで、洋館の入り口…

人のかたちをしたプランター

故郷の街中の大きな病院の近くに、人のかたちをしたプランターがある。このプランターは半世紀にわたってこの民家の玄関にある。小さい頃、高熱を出したとき、母に手を引かれやっとの思いで病院に通った途中に、いつもこのプランタボックスはあった。高さが…