遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

幼少期

護国神社祭の想い出

今年も音楽大行進が行われた。道新記事では北鎮小の金管楽器の行進画像が見れる。 初夏の旭川彩る 音楽大行進 雨の中、沿道の8万5千人を魅了https://www.hokkaido-np.co.jp/article/856172/ 身体的発達が早くなったためなのか、金管楽器を使いこなせる小学…

想い出のソファ

最初に出会った時天井から吊るされたビニールシートが張られた事務室入り口脇のこんな形のソファに私は一人座っていました。 https://muku-store.com/user_data/sofa.php こんな形のソファーだったことを覚えているでしょうか。 たった四歳の時のことです。 …

母の料理の想い出

母はお世辞にも料理が上手とは言えなかった。本人も自覚していたようで、何年間か料理学校に通った。しかし、それでも美味しくならない。料理センスなのか味覚の問題なのかはわからない。 そんなこともあり、結婚相手については料理が上手な人と心密かに決め…

幼少期の風景

幼少期からずっと憶えている風景です。たった一度一緒に遊んだ幼馴染にとっても想い出の場所と思います。 ・ドレメ旧市立図書館、幼少期はドレメ。今は料理専門学校。絵葉書になった建物です。 ・税務署母に連れられ、確定申告で行ったことがあります。今は…

想い出の花壇

小さな女の子が遊ぶ、後ろ姿をみているとつい、たった一度一緒に遊んだ女の子のことを想い出す。 その女の子が花が好きだと知り玄関先の花壇に人知れず花を植えることにした。 たくさん植えすぎて花の名前がわからないと聞いたので花壇の見取り図をつくりプ…

プラパズルの想い出

昭和40年頃から「プラパズル」なる商品が流行しだした。 ****************** https://aucview.aucfan.com/yahoo/e490433988/ 15パズルhttps://plaza.rakuten.co.jp/319690/diary/201712140000/ ****************** テレビCMなどに感化された私は最新モデ…

二人の幼馴染のこと

同じ学校、同じ学年に、二人の幼馴染がいた。 よく見た漫画の一コマ 一人は、私に親近感を持つものの狡猾で油断ならない女の子。一人は、外見的にツンツンしているが一途な女の子。 前者とは幼年時代からの付き合い。後者は、幼年時代、たった一度一緒に遊ん…

公園の想い出

小学2年生まで、ブランコが置いてある場所で遊んだ。 小学3年生くらいのときだったと思う。道路を挟んで、向かいに公園ができた。ブランコ、スベリ台、鉄棒、シーソー、砂場、グランド、水飲み場、トイレが配置されそれらすべてと日が暮れるまで遊んだ時代…

銭湯の想い出

銭湯は昭和30年代、ちょっとした小規模ビジネスだった。燃料は、木材工場から出る廃材。 その後、風呂付マイホームが新築物件の主流となり、昭和50年代に廃業する銭湯が相次いだ。ただ、小さい頃通った銭湯は、頑丈なつくりだったため、廃業後も建物の一…

小学校時代の想い出

君が代が流れる夢を初めて見た。 最近始めたツイッターを、何気なく見ていて、3月6日が香淳皇后の誕生日だったことを知った。 香淳皇后 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B7%B3%E7%9A%87%E5%90%8E さて、小学校時代、天皇・皇后両陛下が旭川に…

なぜ「たった一度一緒に遊んだ女の子」は特別な存在なのか

近所に、同じ歳くらいの女の子が何人かいた。 彼女たちはそれなりに美貌なのであるが彼女たちと遊んで一度も心休まることがなかった。 そんな女の子たち比較すると初対面で私の目を見て身振り手振りで一緒に遊ぼうと誘った女の子はすべてが違った。 一緒に遊…

ピアノ教室の想い出

そのピアノ教室とは噂で聞いたピアノ教室のことである。 そのピアノ教室は住宅街の公園近く小川に架かる木の橋を渡った奥にあった。 出はいりする、色白、ショートヘアの中年の女性を何度となく見かけた。出かける時はいつも和装だった。 敷地内は、木が生い…

「幼ごころの君」の想い出

映画に出てくる「幼ごころの君」を眺めているうちに、二度目に出会った幼馴染によく似ていたことを想い出した。 骨格的には、ある映画に出てくる女の子に近いが、表情的には、きりりと引き締った顔だったように思う。 Neverending Story clip - Ending with …

赤十字病院の想い出

私は赤十字病院で生まれた。母に抱かれた写真の他に、看護婦さんに抱かれた写真が残っている。 病院関係者が誕生記念のつもりでカメラを持たない貧乏夫婦のために撮影してくれたのだろう。 住所は北海道旭川市曙1条1丁目1-1だそうだ。私はてっきり1条西だと…

取り壊された建物 想い出の人たち

取り壊される建物には、例外なく、想い出の人々とその人生が存在している。 旭川で取り壊された建物で、有名になった最初の建物は、旭町の旧藤井病院(旧宣教師館)と思う。 当時の道新記事が残っている。 北海タイムスは解体工事を記事にした。 時代は変わ…

四つの噴水の想い出

噴水について、四つの想い出がある。 一つ目の想い出はは、世界的に有名な噴水公園。場所は、ローマの郊外チボリにある。 イタリアでもっとも美しい噴水庭園『ティヴォリのエステ家別荘』 イタリアの世界遺産http://xn--5ck5a4gob177z170cgian33q.com/worldh…

祖母が愛した名店

私の祖母は大変信心深い人で、暇を見つけてはお寺に立寄り、住職と世間話するくらい、社交的な人だった。お寺の前を通る時はきちんと礼をすることを欠かさない、今の年寄りがしないようなことを当時きちんとやっていた。 宗派は、真宗大谷派。後年、ある用事…

アンデイ・ウイリアムズショーの想い出

小さい頃、あまり良い想い出はない。 家の中が、ギスギスしていたように思う。 食事が終わると同時に、会話が途切れた記憶しかない。 そんな時代、日曜の昼、たまたま遊びに行った家のテレビで放送されていたのがアンデイ・ウイリアムズショーだった。 ただ…

マーブルチョコレートの想い出

上原ゆかりちゃんという俳優がいたもうテレビなどで見かけることはないが、この人のCMをみて当時はほっとしたことが何度もあるマーブルチョコ 上原ゆかり 1960年代 なつかしのCMhttps://www.youtube.com/watch?v=3SRoHkLGRG4近所の女の子とは、一人を除き…

幼馴染の女の子と二度目に出逢った想い出

たった一度一緒に遊んだ幼馴染と遊んだ翌週私は熱を出し、病院にいくことになった。初診の日はおそらく月曜日経過を診るとのことで、二度目に外来に行った日最初の出会いの日から数日後にその幼馴染に病院小児科の待合室で再会したその女の子は、私より先に…

昭和35年12月10日の想い出

もうすぐ12月10日が来るたった一度遊んだ幼馴染の人に、出会った日を確認すべく、昭和35年の暦のサイトを開いてみたhttp://www.benri.com/calendar/1960.htmlその可能性あった日は、土曜日11月26日、12月3日、12月10日のどれかその3日のう…

駆け落ちして暮らしていた夫婦のこと

近所に、悪ガキの両親が間貸しする、安アパートがあった。その安アパートに、当時、駆け落ちしてきたばかりの夫婦が暮らしていることを人づてに知った。6畳一間のその部屋、日中は鍵もかけず、その夫婦は別々に働きに出ていた。近所に、身元素性を隠し雇っ…

小学校の正面にあった文房具店の想い出

私が6年間通った小学校の正面、道路を挟んだ市場のはずれに、その文房具店はあった。その文房具店、実は駄菓子屋を兼ねていた。店の客は、ほぼ100%小学生。大人が来る店ではない。そして、儲かるような店でもない、私が行く登下校時間帯、いつも小学生…

幼稚園の想い出

カトリック教会附属の幼稚園のことを書きたい。私は、この幼稚園に通ったことはない。母に手を引かれ、カトリック教会附属の幼稚園の前を何度か通り過ぎただけだが、決して忘れることはない。その理由はこの幼稚園から出てくる同じ年くらいの女の子を何人か…

おもちゃ屋「たもちゃん」の想い出

おもちゃ屋の想い出話をさせていただく。アーケード時代の平和通りを通ったことがある人なら、市街隅々で街頭放送を聞いたことがあると思う。その街頭放送で、当時、一番記憶に残った店は、なんと、おもちゃ屋だった。店の名は、おもちゃ屋「たもちゃん」。…

ある公園の想い出

あるブログにて、昔からある公園の現況を知った。http://blog.goo.ne.jp/hatukagusa/e/406784f1c98cc35478b528eb8cd83e4cその公園は、バス停西側の、街区一区画ほどの公園だった。どこの街にもありそうな、ありふれた公園である。だが、この公園は、他の公園…

昭和のファミリーレストラン「亀や」食堂のこと

昭和35~40年頃、4条8丁目の南東角地だったと思うが、4階建ての、今で言うファミリーレストランがあった。一階毎にメニューが違っていた店だったようで、私たち家族は、その2階か4階で食事したことを覚えている。この食堂は、テレビ、ラジオ等のC…

角地の玩具店の想い出

小さい頃のクリスマス。角地にあった玩具店にて、鉄道模型のおもちゃを買ってもらったことがある。その店は、今もそっくり同じたたずまいで同じ場所にある。当時は、玩具店だったが、今は人形店に変わってしまったようである。玩具店と言えば、こことデパー…

消えた駅前ビルの想い出

幼少期、母の実家に通うバスに乗るために立ち寄ったビルが駅前にあった。旭川の発展を見守ってきた『アサヒビル』http://blog.goo.ne.jp/green-tea1234/e/50f885178e7631e26cc5424a22816750そのビルは、改築のために、取り壊され、現在工事中であることを知…

母に褒めて育てることを教えた老眼科医の想い出

帰省し、旭橋を通過した際、ある老眼科医のことを想い出す。先生は、眼科開業医の藤井先生である。実は、私は、小さい頃、年に数回、この眼科医に通った。病名は、結膜炎などによるものである。その眼医者は、診察の際、私の顔を真っ直ぐに見て、検眼、処置…