遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

やけどの跡

実は、幼少期、たぶん3歳前後、鉄瓶のやかんのお湯で右の頬に大きなやけどしたことを鮮明に覚えている。

母の動揺が尋常でなかったことが覚えていた最大の理由なのだ。

最初の病院、たぶん厚生病院に行ったときに医師の反応が良くなかったのを悟り、その足で市立病院にバスに乗って行った。

そして、病院帰りに病院のバス停そばの保育園のお地蔵さんに、病院に行く都度、何度も母は声を出して祈っていた。

「この子のやけどの跡が決して残りませんように」 と………。

そのごりやくがあったのか、やけどの跡はきれいに消えた。

そして、生長し、市立病院近くのお地蔵さんを見るたびに、当時のことを想い出すのだ。

当時は、お地蔵さんは、木の台に乗せられ、たくさんのお供え物があった。母も供え物をした。

市立病院.jpg

今は、誰もお供え物をする人もなく、この幼稚園の片隅に追いやられてしまったが、お地蔵さんのおかげでやけど跡が残らずに済んだと今も思っている。

お地蔵さん!ありがとう!僕はこうして生きています!