遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

旭橋の記憶

軍都の時代、戦車が通れる橋が必要との軍事上の判断から、当時としては珍しい鉄橋が設置された。
それ以降、橋は構造的に変わることがない。

いつのまにか、旧市庁舎と並んで旭川のシンボルみたいな存在となった。私にとっては、ずっと昭和の時代の名残みたいな存在。

 

 

橋を通過する度にいろんなことが走馬灯となって脳裏を駆け抜ける。

 

忘れないために、記憶を辿りまとめてみた。

 

・父と旭橋との係り
父が仕事上の事で旭橋に係り、そのことで新聞報道となり、その記事を父は大事に保管していた。当時、父はちょっとした有名人だったようだ。

 

・花火大会時の混雑
旭橋で花火大会が行われた当時、橋は人でごった返し、通過することが容易でなかった。

 

・パルプの排水
パルプ工場からの排水で旭橋より下流は茶色の水で覆われ、魚が棲めない川となった。今は鮭が旭橋の下を遡上するまでに回復した。

 

・水量の減少
大雪ダムが作られ、それ以降、河川の流水量が激減した。それ以前は洪水時は橋を押し流さんばかりの水量だった。水量が多い時に橋の上から下を見るのが怖かった。