遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

母の決意が勇士を育てる

今回は、子育てネタである。

その昔、東旭川に「加藤キミ」という一人の女性がいた。
開拓農家の一員として来旭、東旭川に入植し、旭川で結婚し夫を日露戦争で亡くされたそうだ。

普通はここで、話が終わるがこの方は違う。これからが凄い。

 

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http://tonden.org/wiki/index.php?title=%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BB%BA%E5%A4%AB
父・藤田五郎は、日露戦争が勃発した1904(明治37)年8月に歩兵一等軍曹に進級し、旭川第七師団の歩兵第27連隊の分隊長となった。乃木希典将軍の第三軍に所属し、旅順の二百三高地の攻撃に参加し戦死した。母・キミは、長男の農夫也とまだ三歳だった建夫をヒザの上に抱き、「男の子二人は軍人になりなさい。それが父への唯一の孝行です」と語りかけた。建夫は小学四年生の作文に「軍人になって兄とともに父の敵を討ち、お国にご奉公する覚悟である」と綴った。

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息子さんを軍人に育て上げ、その息子さんというのが、大東亜戦争戦争にて、勇名を馳せたあの加藤隼戦闘隊の加藤建夫なのだそうだ。

加藤建夫

旭川90年の100人」という本から引用

加藤建夫.jpg


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BB%BA%E5%A4%AB

http://tonden.org/report_files/katoutakeo.pdf

 

加藤少将は軍神となられたが、その息子さんもまた、凄い経歴のようだ。

 

加藤軍神親子の思い出(05-9-3)
http://shigematsuakira.blogspot.jp/2005/09/05-9-3_13.html

 

私は、もともと軍国主義者ではないし、これほどの勇者ではないし、このような勇士を育てるほどの覚悟も気構えも足りない小心者だが、旭川に行く機会があったら、

旭川社内に植えられた生家の松を一度訪ねてみたいと思っている。
http://www.asahikawafc.jp/locanavi2/show.php?template=item.template.asta.html&item_id=53

 

 

なお、「加藤キミ」さんのことは、「旭川の人びと」(旭川叢書〈第5巻〉)村上久吉、1971刊)にて、郷土の偉人として詳しい紹介がある。
既に、絶版となっているが、図書館等にて閲覧できるはずだ。

明治時代、戦争に負ければ国家消滅の危機感を以て、必死に子育てした加藤キミさんの生き様は、何かと根無し草世代が増えつつある昨今、参考となる点があると思う。