遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

母に褒めて育てることを教えた老眼科医の想い出

帰省し、旭橋を通過した際、ある老眼科医のことを想い出す。
先生は、眼科開業医の藤井先生である。

実は、私は、小さい頃、年に数回、この眼科医に通った。
病名は、結膜炎などによるものである。

その眼医者は、診察の際、私の顔を真っ直ぐに見て、検眼、処置しながら、私の頭をなで、いつも褒めてくれた。

なぜそうしたのか理由はわからない。

そして、先生は、母と雑談しながら、穏やかにそしてにこやかに私のことを何度も褒め続けた。

それまで私は褒められたことがなく、一眼科医の先生が私を褒めてくれる理由がわからず、戸惑ったが、今思うに、先生は、子供というものはこうやって褒めて育てるものだという手本を母に見せたくてああしたのではないかと思うようになった。

それから、母は、事ある毎に私のことを褒めるようになり、私も自分に少し自信が持てるようになった。

今、私があるのは母が育ててくれて御陰であり、元はと言えば、この眼科医の先生が手本だったと思うようになった。

たぶん、私と母が示す、何気ない、不安な素振りが、先生に伝わり、医者として放っておけない気持ちになり、あのように褒めてくれたのだろう。

そして、その後の人生において、褒められて育った自分を振り返り、親しくない人(特に女性)から褒められる場合の意図に気づくようになったことは大きく、その一方、褒められ続けた御陰で、どんなに苦境の時でも精神的な余裕を以て切り抜けられたような気がしている。

その医院は、数十年後も同じ場所にある。たぶん、ご子息ではない方が後を継がれたのだと思う。そして、既に眼科ではない。

藤井病院.jpg

ただ、そんな素晴らしい先生でも今だにわからないことがある。
この先生は、あの左翼政党の有力な支持者だったことだ。

そして、これも不思議なことなのだが、藤井先生は、眼医者としては一流だったようなのだが、小児科医としてはさほどではなかったようだ。
時々、風邪薬を処方いただいたが、これがまったく効かなかったことを母は嘆いていたからだ。

ただ、考えようによっては、効き目が強すぎる薬に頼るよりは、免疫を高めつつ直す方が結果的に風邪をひきにくい体質を造りあげる選択を藤井先生はしていたのかもしれない。

もう藤井先生はこの世の人ではないと思うが、先生から受けた恩そして穏やかでにこやかな語り口は、生涯忘れることはないだろう。