遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

ふるさと旭川

3条通り仲通りの洋食屋の想い出

その洋食屋は50年くらい前からあるのではないかと思う。 私は高校時代、この洋食屋に何度か通った。同級生の送別会をやったこともある。それから十数年後に一度だけ行った。味は、昔のままだった。少し甘い味付けだったように記憶する。この店は、改装せず…

3条通り仲小路のこと

これは三条通り仲通りを南側から見た写真である。 左側に喫茶店がある。右手にはラーメン屋があったのではないかと思う。左手喫茶店の奥にもそば屋があったようだ。と思って立っているところ、左手奥の建物に、すうっと30歳くらいの女性がその家に入ってい…

一木支隊ガダルカナル全滅を忘れるな

旭川にある北海道護国神社の本殿入口に向かって右手奥の方に、一木支隊鎮魂碑がある。北海道護国神社 境内案内http://www.hokkaido-gokoku.org/?page_id=256太平洋戦争初期の敵の前線基地ミッドウェイ島攻略の為に編成され、聯隊長「一木清直」大佐名を冠し…

国語教師の想い出

私は、その教師の教壇での姿を見たことはない。ただ、住所などから、あるバス停でのバスの乗降に際して、たぶん、その方だろうと覚えていたことがある。その方は、背が高く、ご高齢で目が不自由で、バスの乗降にかなり時間がかかっていた、ことで覚えていた…

威厳ある教育者の想い出

テレビ出演する、ちゃらちゃらした教育専門家とは一風異なった教育者のことを書きたい。クサベラ・レーメ女史のことである。出所:「旭川九十年の百人」私は、この方にお会いしたことはない。挨拶か何かで二三度、話を聞いたことがある程度だが、遠くから見…

家具メーカーの経営者のこと

旭川の家具業界で知らぬ人はない、経営者が亡くなられたそうである。下記日程で偲ぶ会が催されるとのこと。***************http://www.asahikawa-np.com/digest/2015/10/02109756/長原 實さんを偲ぶ会2015/10/20 十月八日に八十歳で亡くなっ…

雑誌 グラフ旭川の想い出

その昔も今も、ほぼ同じ装丁、似たような編集方針で、刊行されている雑誌に「グラフ旭川」がある。この会社の事務所は、その昔、五条通りのマンションの一階にあった。何度もその前を通ったので、その場所のことは今も覚えている。この雑誌の特徴は、表紙に…

大雪連峰が見える、高砂台の坂道の想い出

国道12号線を走り、神威古潭を抜け高砂台の入口少し手前の地点、数秒ほどだが旭川の全景が見渡せる場所がある。 絵葉書の撮影場所になっていると思う。夜であれば夜景が一望でき 晴れた朝なら、大雪、十勝連邦の山並みが見ることができる。その大雪連邦の…

書店の想い出 旭川冨貴堂

3条8丁目の北面にあった5階建ての書店の想い出を書きたい。私は、この書店名が気に入っていた。読書は人を豊かにする、そのことを暗示するような書店名だった。東京新宿の紀伊国屋書店、神保町の三省堂書店、日本橋の丸善などの名店とは規模では太刀打ち…

時計屋の想い出 蜂屋時計店

旭川で蜂屋時計店と言えば、時計屋の老舗で有名だった。また、土地取引の代表的な指標地点として、ニュースで紹介されることが多かった。その蜂屋時計店、かつては、中学の入学祝いに時計を買って貰う人、就職の記念で時計を買う人、婚約記念の指輪を買う人…

若くして世を去った家具作家のこと

地元の家具作家の一点ものの作品を紹介するパンフレットを眺めているうちに実物を見ておきたい気になり電話した後、ある家を訪ねたことがあるその家の玄関先には飼い犬がいた私が訪問した時その犬は飼い主でない私でもわかるくらい人懐こそうに駈け吼えてい…

母の決意が勇士を育てる

今回は、子育てネタである。 その昔、東旭川に「加藤キミ」という一人の女性がいた。開拓農家の一員として来旭、東旭川に入植し、旭川で結婚し夫を日露戦争で亡くされたそうだ。 普通はここで、話が終わるがこの方は違う。これからが凄い。 ****************…

クリーニング屋の想い出

母に連れられ、一度だけ入ったクリーニング屋がある。 母からは、そのクリーニング屋はシミ抜きが上手な評判の店だと聞かされた。母が着ていた、着物のシミが落ちず、近くの店の技術では対応できず、母はこの店を選んだ。母の話によれば、値段は安くなかった…