遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

書店の想い出 旭川冨貴堂

3条8丁目の北面にあった5階建ての書店の想い出を書きたい。

私は、この書店名が気に入っていた。読書は人を豊かにする、そのことを暗示するような書店名だった。

東京新宿の紀伊国屋書店、神保町の三省堂書店日本橋丸善などの名店とは規模では太刀打ちできないが、名前だけなら、十分勝負になる、由緒ある書店だと思っていた。3条8丁目のこの店舗は、確か7年前の2008年4月末を以て閉店となった。が、郊外店は生き残っている。

さて、3条8丁目のこの店舗の50年前のことを忘れないために書いておきたい。
私の記憶が正しければ、50年前の店舗は、1階から4階部分で営業していたように思う。
1階は、手前側が雑誌、新刊書、奥は万年筆などの文具。2階は、辞書、学習参考書。3階はよく覚えていないが、書道、絵画用品。4階は教科書コーナーと理化学教材だったような気がする。階段が急で、エレベータはあったが、あまり使用しなかった記憶がある。
その後、店舗縮小し、1階と2階だけでの営業となり、最後は1階部分だけの営業となったように思う。

この書店の転機は、ブックス平和各店が、買い物公園、そしてマルカツの3階にできたことで、閉店は運命づけられていたのかもしれない。郊外型大型店開店が続出し、最終的に閉店となったが、私は、小中高とここにお世話になった。

辞書と受験参考書のほとんどをここで買った記憶がある関係で、今でも、辞書を買いに行った夢を見ることがある。それぐらい通ったことになる。

そして、閉店間際の4月のある日、虫の知らせのせいなのか、店前に路上駐車し、当時愛読していた月刊誌を購入した。店主の奥さん曰く、今月末で閉店になるとのこと。奥さんの今にも泣きだしそうな雰囲気は今も忘れない。閉店記念ということでボールペンを有難く頂戴した。

かくして、私の多感な少年時代の記憶遺産とも言える、旭川冨貴堂は閉店に至ったのであった。

今は、人気のない空き家を残すのみとなったが、かつての1階は、立ち読みする人でごった返し、今でも、店先を通る度に、往時の人混みのことをことを想い出す。

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