遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

自分探しの旅

ある夏の人事異動で、私と、私と別の部署の大学の先輩は同時に左遷人事を喰らった。
先輩は無実なのに、社長の「懲戒処分の実施指示」の生贄にされた。先輩はコピー機の前で「俺は処分される」とポツンと語った。「私も左遷人事」、と言おうとしたが、言葉が出なかった。私の場合は、徹底して嫌った上司による報復人事だった。

どちらも私物化人事。世間ではよくある話である。

 

先輩は転勤をきっかけに酒におぼれた。元々パチンコ三昧の人だったこともあり、単身赴任先で一人やけ酒を飲み、ついには体を壊しすい臓がんで5年後に他界した。

 

私の場合、たまたま転勤した場所が旭川に近いところだった。自然と旭川に行く機会が増えた。就職後、気にも留めなかったふるさとの風景、建物が急に身近な存在に思えてきた。

毎週水曜午後、休暇を取り、市内巡りをすることにした。
旭川に来てやったことは、記憶に残る想い出がある街区を歩いて回り、その昔起きたこと、その街区で出会った人を想い出すことだった。
憶えている建物の前、交差点で立ち止まり、目を瞑った。その場所の30年以上前の記憶が蘇った。

 

 

正月が明けたある日
ずっと気になっていた、幼馴染に電話した。
幼馴染は電話の向こうで大声を出した。
目の前に突然現れた幼馴染は昔と変わらなかった。

 

そのうち、水曜の午後が来るのが楽しみとなった。
どの街角、どの時代においても
胡麻化すことなく、悩み、正直に生きた自分が居た
ことを確認する作業が続いた。

 

半年がかりで、作業を終え
知らず知らずのうちに逆境を乗り切った
自分が居た。

 

ふるさとはとても有難い場所だった。

 

2年後、本社に異動になった。

そこで、先輩の訃報を知った。
酒におぼれた先輩の供養に誰も行かない中
49日後に先輩の家に出向いた。

 

遺影の先輩はいつも以上に笑顔だった。

 

線香をあげ、手を合わせた私は
その半年後に退職願いを人事部長に提出
会社を去ることにしたのだった。