遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

五十嵐市長時代を振り返る

沖縄の県知事は、自分に都合が悪いと、地元要望を無視するようである。

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http://www.sankei.com/politics/news/161008/plt1610080028-n2.html

だが、県内の米軍基地・施設で最も面積が大きい北部訓練場の早期返還に関しては、地元自治体が返還を要求しているにもかかわらず、事態打開に積極姿勢を示していない。地元住民の生活は移設工事反対派の妨害活動の激化で悪影響を受けているが、翁長氏は見て見ぬふりをしているかのようだ。

 菅氏にはこの日の会談で地元の要望を丁寧に聞き、負担軽減に向けた実績や具体策を示すことで、翁長氏の県知事としての矛盾を明確にする狙いがあった。

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旭川ハーフマラソンのコースを眺めているうちに

旭川ハーフマラソン コース図
http://www.asahikawa-half-marathon.jp/feature/

五十嵐広三という、社会党系の市長がいたことを思い出した。駐屯地敷地を横断するコース設定に私は驚愕した。その自衛隊駐屯地では、この夏も、近くの住民が参加できる盆踊り大会も開放行事として開催された。

陸上自衛隊旭川駐屯地 納涼盆踊り大会
http://www.onitoge.org/bonodori/2008asahikawa.htm

ずっと続いている行事のようである。

さて、この五十嵐市長時代に国道40号線前の自衛隊東門にあった停留所をなくし、裁判所前に停留所を移す様、画策、実現したことで知られる。そのことで、五十嵐市長は自衛隊嫌いと認知された。

こういう経緯を知ると、旭川ハーフマラソンのコース取り、盆踊り大会は、当時の五十嵐市政に対する強烈な意趣返しの性格を帯びていることに気づかされる。

おそらく、現師団長は、当時のことを忘れていない方なのであろう。

この五十嵐市長はアイデア市長と言われた。買い物公園、動物園、市長選挙の目玉でもあった。対立候補は、その戦略に敗れた。が、ソ連崩壊後、五十嵐広三は、ソ連から選挙資金を得たことが明るみになった。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%B5%90%E5%BA%83%E4%B8%89
ソビエト連邦
旭川市長を務めていた1967年に、旭川市を本来日本では所属未定地であるはずの「サハリン州ユジノサハリンスク市」(樺太豊原市)と姉妹都市にした。ソ連崩壊後のクレムリン秘密文書公開により、1975年の五十嵐の北海道知事選挙出馬時には、社会党の北海道本部長(当時)の関田伸男からソ連大使館への最大1億5千万円の秘密の選挙資金援助の要請があった(資金援助が実際に行われたかは不明)[9]などのソ連との秘密交渉が明らかにされた。
北方ジャーナル事件
1979年の北海道知事選挙に立候補したとき、『北方ジャーナル』に中傷記事を書かれそうになったため、出版前に差し止めを裁判所に申請し認められた。この件は「北方ジャーナル事件」として、表現の自由をめぐる判例として著名である。

クレムリンの秘密文書が語る五十嵐広三さん
http://8003.teacup.com/doshin/bbs/5392

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その五十嵐広三は、暴露されたことをきっかけに旭川を離れたそうである。

また、この五十嵐市長、公害問題を見てみないふりをする名人だったようだ。近所に公害関係担当の市役所の幹部が住んでいたが、取扱おうとしなかったのである。住民集会が開催され、当時の資料を保持している方は今もご存命である。証拠資料は存在しているのである。

蓮舫二重国籍問題が、最近表面化したが、五十嵐広三の戸籍がどうなっていたか。

少なくとも、五十嵐市長と公害の件を見てみなかった市の幹部は、市民を裏切ったのである。

これが、私が記憶する社会党系の議員の生態である。見た目は爽やか。カッコ良く、スマートに見えるが実態は、どれもこれも似たようなレベル。
最近、党名を変え民進党と名乗っているそうだが、民主党出身の首相3人とも朝鮮式作法で水を飲むことが知れ渡り、頼みもしないのに親韓政策を選択、パチンコ業界から献金を受ける議員が多いことをその後知るに及んでんで、こういうのに騙され続けていていいのかと思う次第である。