私は、詩が好きだった。
しかし、ある不本意なことがきっかけで、詩を書くことも読むこともやめた。
このままでは、
自分が壊れそうな気がしたからだ。
そんな折、リルケの詩に出会い、詩のかたちを見直した。
感情的、感傷的ではなく、理性的かつ視覚的に描く作法があることに気づいた。
リルケのこの詩は、お茶の水のニコライ堂のある坂道の夕暮れ時を彷彿とさせる。
東京滞在は、短かったがあの周辺の風景は今も忘れない。
リルケにとっての一つの声とは、たぶん、かけがえのない人の食事前のアーメンのことを指しているのであろう。
古い家のなかで リルケ
古い家のなかで ひろびろとした眼の前に
プラーハぜんたいが広い円をえがいて見える
はるか下の方をたそがれの時が
そっと足音をしのばせて通りすぎる
町は硝子をへだてたように朦朧として
ただ高く 兜をかぶった巨人のように
聖ニコライ堂の緑青いろをした
円屋根がはっきり聳えている
遠く むし暑い町のどよめきのなかで
もうあちこちに灯りがまたたきはじめている
私には 古い家のなかで
一つの声が「アーメン」と言っているように思われる