海外旅行した際、夕方6時頃に、ホテルの部屋にて教会の鐘の音を聞き、ほっとしたことが何度かある。
そんな時、窓から教会の伽藍を眺めつつ、堀口大学訳の名詩「ミラボー橋」を思い出す。
「日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ わたしは残る」の箇所は、時、悔恨、喜びも悲しみをも超越している。
想い出を胸にしまい、ゆっくりと時の流れの中に生き、夕暮れに佇む、年老いていく自分を見ているようである。
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
手に手をつなぎ顔と顔を向け合はう
かうしていると
われ等の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでいく
恋もまた死んでゆく
生命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボーー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
他の翻訳者による訳詞は下記参照
http://blog.goo.ne.jp/0390_2006/e/00f0f1bb39c27e5d0c4b1604fd3b0d96