Fire & Rain は James Taylorというシンガーソングライターが作詞作曲した歌である。
愛した人が自殺し、遺された自分の気持ちを切々と歌う名曲である。
私は、高校時代、この曲を毎日のように聴いた。
この曲を聴くと、なぜか不思議と落ち着いた。
それから失意の時ばかりが続いた時代も
この曲を、聴き続けた。
今も聴いているのだ。
火と雨
正反対の性質のものである。
この曲では、「火と雨」を「光り溢れる希望の日々と孤独と絶望の日々」にたとえている。
さて、
雨と火をモチーフにした名詩に
北村太郎という詩人の「雨」がある。
こちらは、人が生きることによって負う数々の宿命が視覚的に描かれている。
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雨
春はすべての重たい窓に街の影をうつす。
街に雨はふりやまず、
われわれの死のやがてくるあたりも煙っている。
丘のうえの共同墓地。
墓はわれわれ一人ずつの眼の底まで十字架を焼きつけ、
われわれの快楽を量りつくそうとする。
雨が墓地と窓のあいだに、
ゼラニウムの飾られた小さな街をぼかす。
車輪のまわる音はしずかな雨のなかに、
雨はきしる車輪のなかに消える。
われわれは墓地をながめ、
死のかすれたよび声を石のしたにもとめる。
すべてはそこにあり、
すべての喜びと苦しみはたちまちわれわれをそこに繋ぐ。
丘のうえの共同墓地。
煉瓦づくりのパン焼き工場から、
われわれの屈辱のためにこげ臭い匂いがながれ、
街をやすらかな幻影でみたす。
幻影はわれわれに何をあたえるのか。
何によって、
何のためにわれわれは管のごとき存在であるのか。
橋のしたのブロンドのながれ、
すべてはながれ、
われわれの腸に死はながれる。
午前十一時。
雨はきしる車輪のなかに、
車輪のまわる音はしずかな雨のなかに消える。
街に雨はふりやまず、
われわれは重たいガラスのうしろにいて、
横たえた手足をうごかす。
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生きることが罪であるかのように表現された詩である。
話は変わるが、
私は、好きになればなるほど
好きな人と結婚できないような気がしていた。
実際、そうなってしまった。
私自身は情熱指向なので、
相手が情熱派の場合、
どんなに好きな相手であっても
結局うまくいかないと考えた。
似すぎているが故の破局を恐れたのだ。
破局の後の破滅を恐れたと言っていいだろう。
そこで、性格的に穏やかな人を
無意識に探し求めるようになった。
そうすることで心のバランスを
保とうとした。
だから、私にとっての
Fire & Rain は
情熱と穏やかさということになるのだろう。