遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

竹村病院六角堂の建物

昭和43年まで4条12丁目にあり、竹村病院病院解体後に、偕行社南側に移設となった六角堂施設がある。

中学の先生から茶室の部屋と聞いたことがある。

古い写真の中から、偕行社と一緒に撮影したものを選んでみた。

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偕行社と六角堂

 


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史跡等表示板 竹村病院六角堂
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/348/353/p000205.html

2 竹村病院六角堂
史跡等表示板
明治32年から1条5丁目で、博愛堂竹村医院を開いていた竹村次郎は、明治34年に新しい病院を4条12丁目に建設している。このとき病院の玄関に建てられたのが、この建物で住民に六角堂の名で親しまれていた。

昭和43年、同病院が解体されたために、現在地に再建された。


旧竹村病院六角堂
https://www.kenchikutabi.com/%E6%97%AD%E5%B7%9D%E5%B8%82%E7%B7%A8-%E2%85%A0/

竹村病院六角堂

1901年(明治34年)に開業した竹村病院の玄関部分を1968年(昭和43年)に4条12丁目から、現在地(旧陸軍第7師団の旭川偕行社に隣接地)に移築・復元しました。 

 建設当時、この建物は町のランドマークになっていたんだそうです。

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実は、鉄道雑誌に、竹村病院の医師は、あの塩狩峠にて事故死(殉職)された国鉄車掌の脚を縫合したと書いてある。

建物もランドマークとなるほどのものであったことから、竹村病院院長はなかなかの趣味人、医師としても、患者とその家族に寄り添う名医だったような気がする。