遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

弁当をご馳走してくれた早苗ちゃんのこと

社会人になったばかりの、青臭い時代の、気持ちばかりが空回りしていた頃の強烈な想い出話である。

私は、社のある客人の随行係ということで、ある事業所に出張した。

その事業所に早苗ちゃんはいた。
早苗ちゃんは、若いのにテキパキ仕事をするのが身上のようだった。

彼女は、羊蹄山が見える場所で生まれ育ち、実家は街の電気屋、良家の育ちのようで、遠いところの女子高、女子短大で花嫁修業した後、社に就職した。

羊蹄山.jpg

性格的には、羊蹄山の麓を流れる清流の如く、素直な心の持ち主で、好き嫌いが実にはっきりしていて、男勝りな点はあるものの、戦争中に亡くなった日本人技術者、八田與一(台湾にて東洋一の大型ダムを設計、施行管理の責任者)の後を追って自殺した妻のような、思い込んだら、どこまでも従い、信じ、尽くすような一途な雰囲気があった。

八田與一とその妻の美談については、以下にて。
八田與一と烏山頭水庫(台南市
http://www.taipeinavi.com/miru/103/
台湾最大の穀倉地をつくった八田與一 大事業「嘉南用水路(嘉南大しゅう)」
http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html

彼女は、容姿的に絶世の美人という訳ではない。が、時折見せる、目付きは鋭く、その一方、少し気が緩んだときに使う、人懐こい方言が、その厳しさを和ませた。

彼女は自分の眼鏡にかなう人との職場結婚を望んでいたが、そういう機会は入社式しかないことを嘆いていたようであった。

そんな彼女が、出張2日目に、私のために、昼食用の和食弁当を用意してきてくれた。

弁当は、その地でとれる、魚介類、野菜をふんだんに使った、豪華なものだった。弁当の入れ物は、黒の漆塗りで長方形の二段か三段重ねだったと思う。それを赤い紐で丁寧に結んであったように記憶している。

味は、というと、申し訳ないほど、美味しかった。

その後、私は、社用あるいは私用で、有名料亭、レストランで和食弁当を食べる機会が何度かあった。が、メニュー、味でこの弁当に優るものはなかった。

帝国ホテルクラスの料亭にて、社用で和食弁当をいただいたこともあったが、見た目はこのホテルが優っていたが、味は彼女の方が断然美味しかったような気がしている。

美味しい昼食を食べると、つい、早苗ちゃんの弁当を思い出してしまうからなのである。

彼女は、なかなか大した料理人だったのだ。

私自身が、彼女にとってどういう評価だったかはわからない。が、性格といい、料理の腕といい、見合い話が持ち込まれ、その席にてこの和食弁当を食べていたら、たぶん一発で了解していた相手だったような気がした。

それほど、強烈な印象が残った弁当だった。

私と早苗ちゃんは縁がなかったと言えばそれまでだが、それほどまでに夫に尽くす妻なら、どんな逆境にあろうが、弁当をいただきながら、今日も頑張ろうと思ったに違いない。

それゆえ、早苗ちゃんの亭主になった方は、山内一豊の如く出世したのではないかと思い至ると同時に、たかが弁当の話ではあるが、私にとって、早苗ちゃんの弁当は、一人の男として、度肝を抜かれるほどの想い出としてこうして記憶に残ったことは確かである。

掛川の思い出♪
http://ameblo.jp/hitomi-mazenda/entry-11426110217.html