フィンジというイギリスの作曲家の「ピアノと弦楽のためのエクローグ Op.10」を聴きながら、ふと、取り壊された故郷の駅舎のことを想い出した。
寂寥感溢れる、名曲だと思う。
私は、駅舎があったあたりを、ゆっくりと歩く。
しばらく歩いた後
あったものがなくなった、その衝撃で、
私は立ちすくみ、記憶の彼方の駅舎を辿る。
そこは、既に更地になっていた。
古い駅舎だけでなく、周辺の建物もろとも消滅し、駅舎周辺の景色はすっかり様変わりしていた。
帰宅し、取り壊される数年前くらいに、撮影した画像を眺めてみた。
撮影場所は、横断歩道上だった。
たぶん、青信号で渡りながら撮影したのだろう。
記憶によれば、
画像左側に交番、そして今はないが日通の事務所、アンテナがある放送局、その右下あたりに停車場、そして駅舎1階の左側に臭かった駅のトイレ、駅舎1階真ん中に券売場、右側に改札口があった。
この画像にある、駅前駐車場は、無人化されているようだが、かつては有人で、ゲートに1メートル四方の狭い木造の灰色の屋根付き建屋内におじさんが一人座り、30分まで無料だった。
どうやら、私は、殺風景なコンクリート回廊の時代を生きたようだ。
それでも、忘れない想い出はある。
修学旅行で、二班に分かれ出発したこと
離郷する汽車から見た風景が、とても印象に残ったこと
入社日に、両親に見送ってもらったこと
あの世界的大女優の如く、颯爽と歩く、あの人を偶然見かけたことなど、今も脳裏に焼き付いている。
新しい駅舎は、北側は街の玄関として、壮大な佇まいを見せている。
南側は、川が望める、さながら自然公園のようであり、世界中探しても自然とマッチした、こんな素敵な都市の駅はない。
旭川駅の新しい駅舎の風景(南口)
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今更のことではあるが、随分、素晴らしい環境で生まれ、育ったことに納得するのである。
もっと早く気づくべきだったかもしれないが。