遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

初恋 一人言葉遊び

初恋というタイトルがついている詩は多いが、その中で傑作だと思うのは、帷子耀(かたばみ あき)という詩人による「初恋」という詩である。
この詩人は、十代でデビューした後、突然、詩壇から消えた謎の人物である。

さて、この詩の優れていることは、初恋という人生の重大シーンを一人言葉遊びの手法を駆使して表現していることである。初恋であるが故に、期待に胸膨らませたり、出るはずもない結論だと思い込み、どうしていいか一人思い悩んだり……………、
どうどうめぐりに近い行為を一人言葉遊びという手法で巧みに心理描写している。
詩壇では、一人言葉遊びは邪道だそうだが、私はそうは思わない。

この詩を知った頃、私は修学旅行で京都にいた。
旅行ではこの詩が掲載されていた、「現代詩手帖」という雑誌を持参していた。
後で、あの人が「初恋」だったと知らされ、その時は何もできなかった。
後悔するだけの自分だが、この詩を旅行の想い出にプレゼントしたいと今は思っている。

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初恋ーlike a rolling stone    帷子 耀(かたばみ あき)

夢がきみに涙をめぐむ

ふかい献身は
たったいま
しずかに
よりふかい献身をつきくずす
ある熱狂

血まみれてとぶ鷗
血まみれてもとぶ鷗
血まみれたからとぶ鷗
ひろがるしかなかった太平洋に

孤独をきざむ情事がある
情事をきざまれる孤独がある
草が日をきざみ
草に日をきざみ
白い息
白い息
白い息

やがて
ただ
死を
きざむことになる
初潮

最後に
きみに


黒鍵をたたくように不器用にきみをたたいている
ああ六月の
あの
あの
雨に
たたかれている
誰よりも
たたかれている


冬でもよい!
激しく
叫び
なみもなかった

苦痛をふみしめる恐怖
恐怖をふみつける苦痛
半音をくるわせる
狂気が
まっすぐに
つづく

雨のつよいにおいのために
とつぜん
出血する
冒険も
ある
みずからの水平線と沈黙をまえにして
ゆびをひらき
ああ
そっと手をおく
そのことの
悲しみ
それはきみにも



凍原と
竜骨が
かわるがわる白くなったりする
ゆうべから
レモネードと絶望がふれあって
単純に
ひかるくちびるのうえに
訳もなくわずかずつかたむいてゆく空の
なんという
おそい雲

どこまでも
恐ろしいほどにきみはすっぱい!


混乱が水に流れる
混乱を水が流れる

ここよりも色づいている岸辺で
なすすべもなくずぶ濡れの砂を鳴らす
きみがいる
きみがいない
なにも
ない



たてにふたつに夕映えがある霧やきみの部分のように割れる
ああ
恒星という
はるかなる苺畑の全滅



信じられないと百回
信じられると百回
くりかえせばいいのだと思っている
信じない
ということ
信じる
ということ
そのどちらもなくて

花を摘みとり
花びらをむしり
信じられる
信じられない
信じられる
信じられない
信じられる
信じられない
信じられる
信じられる
信じられる
信じられない
信じられる
信じられない
ひまわりの混沌
きみの混沌

象をひたして不眠の灌木はあわだつ
そんな孤島があふれる
かがやく
厖大な自我とテーブルが
そこでつくられる

燃えつきている
静物
ああ
その
おもさ



打たれることをつきつめて草純粋はまだ
ちいさな
断崖にたち
心臓にアルコールをため凍りつかせて
下水という下水に幻影をつなげる
ここに草がありそこに草がある
見ると果てる夢ひとつ
見ぬと果てぬ夢ひとつ

したたるドレッシングの不安
なだれこむマヨネーズの暗黒
きみのむなしさ
もがれてくるレタスにこれらを



なにをいっている
きみの乳首についてなにひとつふれないで
いる

いうのに



渓流のハーモニカ
沈み
沈み
にくしみのようにバケットをみたす

泳げもしない
クロールのさなかにきみは涙ぐむ
茫然と
その



経験があさりをきりだす
砂がとびちり
チェスタよりもつめたく
きみの髪がすきとおる
しみる
傷口のような
幸福
とも
行為があさひをふくみ
チェスタよりはあたたかく
きみの汗がすきとおる
かたい
かさぶたのような
不幸
とも
うっすらと
だが
切れている



恋をした
ということはなかった
そして恋をしなかった
ということはなかった

夢がきみに涙をめぐみ
星のようなものをいっぱいにふくらませ
きみは


(現代詩手帳昭和48年9月号)