遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

旭山公園の桜

旭川で見られる公園の桜は、大規模なものとしては、常磐公園神楽岡公園、旭山公園、春光台公園、花咲スポーツ公園、5箇所ある。
いつのまにか、こんなに増えたのかと驚いている。旭山公園以外は、比較的若い樹木である。せっせと植樹して、北限の桜を守ってきたのであろう。
公園緑化協会が管理しているそうだ。天下りみたいな組織を連想するが、地域の緑を守ることは、大切なことだ。
さて、このうち、旭山公園の桜については、先人による大量の苗木の植樹があって、現在に続いていることがわかっている。
村上久吉という郷土史家が書いた「旭川市史小話」には、第八五話「旭山の桜」と題して旭山公園の桜の苗木の由来についてこう書いてある。

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吉野の一目千本まではゆかぬが、旭山の桜は見事なもので、眺望のよいのと相まって道央第一の桜の名所である。このよき地をえらんで桜を植えた人に、森安太郎さんを推さねばならぬ。
森さんは愛媛県出身、明治六年七月生れ、二十五年屯田兵として東旭川に入地、三十九年に同地の役場に奉職、大正五年南富良野村落合郵便局町に転じ、昭和十八年十月、七十歳で旭川で病没した人であるが、明治の末のころ、旭川の発展とともにこの地の将来性を考えて、ベーパン、倉沼、上ベーパンの山々に訪ね桜の幼木を探して五百本を植えたもので、大正二年五月、時の中村道庁長官は木杯一個を贈ってこれを表彰して居り、東旭川村でもまた昭和三十六年、「顕彰培」と銘うって新型の彰碑を建てている。森さんにつづいて前市会議員の工藤力夫さんをあげる。
昭和十年、みその銘柄「旭山」正油「亀甲目萬」の醸造元の工藤さんがそのフサ夫人の三十三歳の厄年に当るので、ヤク払いに夫人と相談して「帯や着物は破れる、すたれる。そんなものより末広に茂り、いつまでも、自分らと村人らとともに喜べるから」というので、旭山に桜の植樹することを決め、羽幌桜の三年苗三百三十三本を、一時旭川神社に仮植え、苗を大きくし根を張らせて、十二年に青年団や婦人会の労力奉仕を得、参道ふもとより頂上まで植えつけたもので、ほとんど全部今に毎春満開の盛観を示している。二十九年の十五号台風には数本たおれたものもあったが、すぐ村で手を加えたおかげで皆いきいきとよみがえる。三十年、同氏の記念句碑が建てられる。その句
この岡や旭はおどる桜舞う。
このほか永山農業学校教諭の佐瀬清治氏がベーパンの一青年会員であったとき、事情は判らぬが動員せられて桜を植えるといい、東旭川屯田出身の快男児武田広氏も植えたことがあるという。ともに大正十年前後のころであろうか。とにかく心ある多くの人の善業が結集して今日の盛観を見るに至ったものであろう。