遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

バイヤーたちが3・6街に溢れた時代

旭川は家具の街として知られる。旭川では、バブル時代から続く、デザインセンター主催イベント、循環バスが配車となる見学会などがある。イベントにはバイヤーたちがやってくる。バイヤーとは、大手メーカー、デパート家具売り場の担当者。

 

Asahikawa Design Center|旭川家具工業協同組合 ...
https://www.asahikawa-kagu.or.jp/center/

 

彼らの目当ては、本来的には新製品。しかし、様相はいささか異なる。
イベント参加に際し、彼らは接待要求するのだそうだ。

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旭川地場産業が少ない。ということは、3・6街は、バイヤーたちが接待を受ける場所となる。負債を背負いつつ、接待する地場産業側にとって、バイヤーたちと飲む酒は、成約の可能性が乏しい点で、おいしい酒ではなかった。要求は、それだけではない。東京のデパートなどで行われる販売イベント等での動員要請もあった。

 

バブル崩壊痕は、中国進出で国内市場を席巻したニトリの影響を受け、地場企業の倒産が相次いだ。ニトリは、地場企業技術を中国企業に移転して成功したとの噂がある。倒産品を扱う地元関係者は辛い思いをした筈である。

 

親子で経営権を巡って騒動となった大手メーカーは、地場企業が開発した製品技術(意匠レベルのもの)を丸ごと自社ブランドで販売したとの話を聞いたことがある。ああいう形で大手メーカー創業一族関係者が経営権を失うのは、多方面で恨みを買った結果とみることができる。

 

時代は変わり、メーカー直販、ネット直販等で売る時代となった。
振り返ってみて、バイヤー依存の時代は、地場産業を取り巻く環境は綺麗事とは無縁、多方面で要らぬ苦労を強いられたようだ。

 

彼らの窮状を聞かされ、旭川っ子の一人として何とかしてあげたいと思ったほどなのである。