遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

取り壊された家屋の想い出

ここ数年、旭川中心市街地を歩いていて、櫛の歯が抜けるよりも、もっとひどい、街区全体が更地化しているような光景に出会い、ショックを受けている。
通りがかった際に、何かあったはずのものが、ないことで、言いようがない虚無感を覚えることが激増している。
つい最近もそんなことがあった。
気を取り直し、古い写真と古い住宅地図を探し、そこにあった建物を特定すると、年代的にかなり古いため、持ち主の生家と思われるケースがある。

持ち主、元住人の方は、きっと涙を流し、解体工事の一部始終を見つめている、そんな光景が目に浮かぶ。
持ち主世代の生家ならなおさらだ。
更地になった場所、そもそもどういう企業が、どういう素性の人が住んでいたのかもわからない時代になってしまった。昔からの街ん子なら、親族が街中あちこちにいる関係で、すべてご存じのことであろう。が、街ん子でなくても調べる手立てはある。
1964年、東京オリンピックの年に、おそらく、北海道新聞折り込みで各戸に無料配布されたと思われる住宅地図がある。全部で13部からなる。市街中心部、特に、更地が目立ってきた、9丁目から12丁目くらいまでの当時の状況を知る手がかりとして、郷土資料的に重要情報と思う。
この資料については、少し前にあいわプリントが複製を作成・配布した。が、残部はないとのことなので、更地が増えてきた地域についてサンプル的に画像を一部切り取ったもので、紹介させていただく。
http://aiwaprint.jp
宮下から3条・8丁目から12丁目縮小.jpg