遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

先祖は故郷から花を持ち込んだのではないか?

最近になって、母が実家から持ってきた草花の品種名が気になり、調べ始めた。
母方の先祖は開拓農家。その庭先に、先祖の地にあるような植物があることに気づいた。
中でも玉咲きサクラソウは、歴史的に由緒ある品種だそうだ。
玉咲きサクラソウは武士がこぞって珍重した品種だそうだ。園芸店で見かけることはまずない。
DNA分析するなど、由来を調べる価値はありそうな気がする。
開拓した先祖の人たちは、故郷から草花を持ち込み、大雪山を眺め、北陸の地、富山から見える立山連峰を懐かしんでいたのではないかと思うのである。
文化財としての桜草園芸種
 荒川流域に野生種が残っている。浦和・田島が原の野生集団は、昭和27年に天然記念物に指定されたが、昆虫が減り、有性生殖が不調になれば遺伝的な多様性は低下してしまうとと考えられている。荒川区・尾久の原では、江戸時代にすでに乱獲による衰退が始まっていた。全国で、野生種の衰退・絶滅は進んでいるが、絶滅を危惧する人たちの努力が実り、絶滅危惧Ⅱ類から2007年には準絶滅危惧種に再指定された。一般に、野生由来の個体は天然記念物になるが、園芸品種などは対象外である。美意識のもとにつくられた園芸品種は民族文化財といえると私は思っている。記録にそって5つの時期に分けて桜草の歴史をたどる。
第1期:室町中期から末期 〜野生種栽培の初期
 1478年最古の文献「大乗院自社雑事記」に庭前草花の2月に「桜草」と書かれている。
第2期 室町末期から江戸前期 〜栽培者が公家から上層町衆に拡大
 茶の湯が盛んになり茶花として用いられる。栽培されていたのは野生種。
 俵屋宗達尾形光琳の屏風に桜草が描かれている
第3期 江戸中期 〜武士層が品種改良を始める 
 群落の変異種を見つけて楽しんだり、自生種の栽培化が始まる。
 最古の園芸種「南京小桜」ができる。
第4期 江戸末期から昭和前期 〜品種改良がさらに進む
 爆発的に園芸種が増え400種に届く。品種のリストがいくつもできる。
 江戸・染井の植木屋 伊藤重兵衛が「桜草名鑑」をつくった 
 桜草売りの浮世絵がのこっている。1鉢4文の庶民の文化であることがわかる。
 群落を見るだけでなく、小屋組花壇(棚を作り「櫻草作傳法」に従って鉢を並べる)を作ったり、重箱に寒天をいれて固め桜草を刺して楽しむなどの遊びがあった。、
第5期 明治・大正 〜市民への普及
 桜草を愛好する団体が発足。
 八重品種もでき、花の形態の多様さが愛好者を増やしていく。
玉咲きサクラソウ.jpg