クララ・ハスキルという女性ピアニストをご存じだろうか?
才能あったものの若い頃はコンサートにて舞台負けし、ユダヤ人として迫害され、極貧の中を病と闘い、なんとか生き延び、晩年、世界的に有名になったピアニストである。
私は、クララ・ハスキルというピアニストの音色は、大御所と言われている、ポリーニ、リヒテル、ホロヴィッツとはまったく別次元の音楽ではないかという印象を持っている。
料理にたとえるなら、心のこもった、温かい家庭料理であると思う。
たとえば、シューマンの子供の情景は、子を慈しむような母親の優しさが伝わってくる。
母親の音色と言っていい。
最初の曲は、白眉の出来映えである。母親が子供に語りながら弾いている丹念さがある。
有名曲トロイメライは、甘さがとれ、モーツアルト的な清潔感と神秘性が漂っている。
彼女の演奏を聴いていると、彼女が、台所に立ち、子供のために夕食をつくるために野菜を丁寧にきざむ光景が浮かぶ。
ところが、名手ホロヴィッツや他の演奏では、このような情景はうかんでこない。
何かが違う。それが何か、うまく説明できないが。
薄幸に堪え、ピアニストとして一途に生きた彼女に、音楽の神様が応え、彼女だけになしえることが許された奇跡なのかもしれない。
たぶん、私は、生涯、彼女の演奏を聴き続けるだろう。母の形見のつもりで。