遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

旭川はデザインの名所だらけ

旭川はデザインの名所だらけと思うことがある。

名所と思う箇所を以下にリストアップした。

 

・遠景     大雪山
・橋梁デザイン 旭橋
・道路デザイン 緑橋通り
・交差点デザイン ロータリー
・歩行空間デザイン 買い物公園
・駅周辺の景観デザイン 旭川駅
・動物園デザイン 旭山動物園
・室内空間デザイン 旭川デザインセンター
・街路のアクセントデザイン 彫刻
・市を象徴する建物デザイン 市庁舎
・河川公園デザイン 北彩都公園

 

今は目立たなくなったが、かつての買い物公園は彫刻展示場のようだった。

失意の時代、この彫刻を見つけ、何度ほっとしたことか。

 

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旭川の野外彫刻 サキソフォン吹きと猫
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/sculpture/sculpture_update/p000438.html

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「仕立物の洋服」の想い出

日米首脳会談で菅首相が着た背広がダボダボであると評判となった。

 


菅義偉首相、どの紳士服屋で買えばそんなダボダボなサイズ感に仕上がるのか逆に評判に
https://kabumatome.doorblog.jp/archives/65978949.html

 

バイデンや麻生元首相の着こなしと比較すると、菅首相の背広は、一着10万円くらいの既製品、首相のファッションとしては貧相と思うほどである。

歴代首相では、おしゃれなのは麻生元首相。帽子、ワイシャツ、背広、ネクタイすべてきまっている。

帽子は、2条通りにある「どら猫帽子店」で売っている、イタリア製の数万円のハットと同等品ではないかと思う。

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ワイシャツは仕立物で3万円。背広は20万、ネクタイ3万円。靴はおそらく5~10万円くらいのものであろう。麻生元首相のファッションはやや派手でゴージャスな雰囲気。対照的に、安倍前首相は、一見地味だが、落ち着いた品の良い服を着ている。

 

 

私事となるが、四十歳を過ぎた頃から、仕立物のワイシャツを着るようになった。肩こりがひどくなり、既製品ではフィットしないことがわかったので、一着数千円~1万円のものを10着程度揃えた。生地を選ぶ際の基準は、あまり派手過ぎず、選り好みせずとし、いろんな柄を揃えた。仕立物だと刺繍で名前を入れてくれるサービスがあるが、刺繍の糸は敢えて目立たたない色を選んだ。

 

一見地味だが、よく見ればおしゃれな服装であることを心がけたことになる。

 

なぜそうしたか。高校時代好きだった女の子が着ていた、仕立物のブラウスを想い出したからだ。彼女は、明らかに品が良い、仕立物の洋服を着ていた。
彼女のイメージに感化されたためか、あり得ないことだが、自分が独身、彼女と仕事帰りにデートする場面を勝手に想定、ブランドものではない、敢えて地味で品の良いもの、耐久性ありそうな品物を選んだ。ネクタイは、デパートでニーズを伝え、店員さんに選んでもらった。靴は、丸井今井で売っていた、ソールの厚い2万円くらいのウオーキングシューズにした。これだと一日履いていて疲れない。良い靴と思った。

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菅首相のような国益に係わる仕事をする機会はなかったが、仕事に対する自負心は人一倍あった。が、現実の上司との折り合いは必ずしも良くなく、良い仕事をしている証明としてファッションに気をつけようとした。

 

ただ、おしゃれの原点は、高校時代の女性に影響されたことは否定しようがない。彼女が着ていたものは、一見地味だが、良い品物だらけだった。

閉店の記憶

何度か通い印象に残った店の、閉店の時期を整理してみた。


・ニュー北海ホテル 2004年閉館

二度のお見合い(親から頼まれた)、同級生や親族の結婚式、同窓会がここであった。旭川を代表するホテルだった。

 

・喫茶ベルタン 2004年12月閉店
高校時代から知っている店。内装が素晴らしかった。

 

・赤松靴店 2005年閉店

何足か購入した。ブランドものが少ない印象の店。

 

・国原 2008年3月20日閉店

中学、高校時代と週に1回は通った店。ギターを万引きした高校性がいたとの噂がある。

 

富貴堂 2008年4月14日閉店

小学生時代から通った。理科教材、書道道具はココしかなかった。辞書はほとんどここで購入した。今でも夢に出てくる店。

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丸井今井 2009年7月20日閉店

最大の地場のデパート。旧館時代の方に私は愛着がある。2000年以降、財布と靴をここで揃えた。

 

富貴堂MEGA 2011年1月31日閉店

規模だけでなく、品揃えが素晴らしい書店だった。特に、美術書、写真集、デザイン関係。能力ある店員さんがたくさんいた。

 

・喫茶茶館   2010年3月閉店

日替わり定食、壁の絵、置いてある鉢物が素晴らしかった。値段は良心的。

 

エスタ 2012年7月閉店

買い物したことはないので記憶がありません。

 

・拓殖市場   2014年閉店

母に連れられて、何度か通った、今津鮮魚店は覚えている。刺身が美味かった。

 

西武デパート 2016年9月30日閉店

ビジネスバッグ、夏物のワイシャツ、ベルトなどを購入。他の店にない品揃えが光った店だった。

 

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花月会館 2017年閉店

ちょっとした宴会場。

 

・宮川本店

家具、仏壇の一番店。お盆の時期にここに立ち寄った。

 

・オモチャのたもちゃん 2021年3月閉店

プラパズルを何度か買いに行った。おばさんのことは覚えているがおじさんの存在は閉店数年前に初めて知った。店番をしているときのおじさんの幸せそうな顔は忘れることはないでしょう。

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不明だった点については、以下のサイトの情報も参考とさせていただいた。

旭川市「創業100年以上の企業と旭川の歴史」
https://ameblo.jp/taka-to-tonbi/entry-12551790686.html

蜂屋時計店、千秋庵買い物公園店、町井楽器の閉店時期を調べてますがはっきりしません。

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蜂屋時計店、町井楽器の写真がないか探しております。

行ってみたい場所

見渡す限り花が咲いている場所、草原一面に花が咲いている場所が好きだ。

 

書評的には芳しくないが、写真集として眺めるといい本がある。
ガーデニング王国 花紀行」(エッセイ:林望、写真:鈴木せつ子)である。
この本に、コーンポピー、亜麻の花が草原に咲いている草原写真がある。

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見渡す限りの花が咲く草原ははっとするものがある。

コーンポピーの写真は、モネが1873年に描いた「ひなげし」という絵を連想させる。

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%AA%E3%81%92%E3%81%97_(%E3%83%A2%E3%83%8D)


亜麻の花の写真は農園のものであるように見える。

亜麻の花は当別町でもみられるそうだ。

 

https://portal.town.tobetsu.hokkaido.jp/town/fika/mg586t00000002wm.html

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さて、大雪山の裾合平と呼ばれる一帯、旭岳の南西斜面にて見渡す限り、チングルマが咲く時期がある。自然のお花畑の規模としてはここが道内最大と思う。

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バイヤーたちが3・6街に溢れた時代

旭川は家具の街として知られる。旭川では、バブル時代から続く、デザインセンター主催イベント、循環バスが配車となる見学会などがある。イベントにはバイヤーたちがやってくる。バイヤーとは、大手メーカー、デパート家具売り場の担当者。

 

Asahikawa Design Center|旭川家具工業協同組合 ...
https://www.asahikawa-kagu.or.jp/center/

 

彼らの目当ては、本来的には新製品。しかし、様相はいささか異なる。
イベント参加に際し、彼らは接待要求するのだそうだ。

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旭川地場産業が少ない。ということは、3・6街は、バイヤーたちが接待を受ける場所となる。負債を背負いつつ、接待する地場産業側にとって、バイヤーたちと飲む酒は、成約の可能性が乏しい点で、おいしい酒ではなかった。要求は、それだけではない。東京のデパートなどで行われる販売イベント等での動員要請もあった。

 

バブル崩壊痕は、中国進出で国内市場を席巻したニトリの影響を受け、地場企業の倒産が相次いだ。ニトリは、地場企業技術を中国企業に移転して成功したとの噂がある。倒産品を扱う地元関係者は辛い思いをした筈である。

 

親子で経営権を巡って騒動となった大手メーカーは、地場企業が開発した製品技術(意匠レベルのもの)を丸ごと自社ブランドで販売したとの話を聞いたことがある。ああいう形で大手メーカー創業一族関係者が経営権を失うのは、多方面で恨みを買った結果とみることができる。

 

時代は変わり、メーカー直販、ネット直販等で売る時代となった。
振り返ってみて、バイヤー依存の時代は、地場産業を取り巻く環境は綺麗事とは無縁、多方面で要らぬ苦労を強いられたようだ。

 

彼らの窮状を聞かされ、旭川っ子の一人として何とかしてあげたいと思ったほどなのである。