遠い夜空のオリオン

幼馴染との淡い想い出を綴る私家版郷土史

常盤公園内の公共施設今昔

昔は、ロータリーに面して商工会議所があり、その裏に体育館、その北側に図書館、公会堂、少し離れ土手傍に青少年科学館がありました。

 

・体育館
スポーツをしにいくのではなく、スポーツ用品の展示即売会があり、父に連れられて行ったことがあります。

 

・図書館
昔は、図書館というよりは学校の図書室レベル。灰色の鉄製ラックが所せましと並び、薬品あるいはカビ臭い雰囲気でした。
高校時代、勉強ついでに講談社ブルーバックス量子力学の本を何冊か借りました。当時のブルーバックバックスは結構面白い本が多かったと思います。
今は、閲覧室、参考図書室を完備した立派な図書館に変わりました。

 

・公会堂
現在使われているのかどうかわからないくらい人気ない雰囲気です。昔、ここで吉田拓郎のコンサートがありました。当時は持ち歌が少なく、時間潰しながらやっとコンサートを維持している感じでした。

 

・青少年科学館
科学館は移転したが、建物として引き続き使われています。市庁舎解体後、当時の建築モデルのDNAを引き継ぐことになる、この建物は再評価されることとなるような気がします。

 

・美術館
常設、特設とあるが、特設会場での入場料が高い。地方都市で見に来る人が少ないため、仕方がないことかもしれません。

 

・グランド
小学校の時代、グランドは夏はラジオ体操、冬はスケートリンクがありました。20年くらい前までは、初夏に園芸市が開催されました。今は別の場所で行われています。
殺風景な広場が残ってしまいましたが、代わりに見応えあるというか興味をそそられる彫刻が何点か置いてあり、旭川は彫刻の街であったことを実感します。

 

常盤公園今昔

今回は常盤公園の画像を集めてみました。

 

・案内看板
かなり古い看板です。レイアウト的には昔のままです。


・貸しボート乗り場
二、三度乗せてもらったことがあります。漕ぎ手は父。頓宮入口の橋の下を二度くぐったことを覚えています。今は、貸しボート使用時間到着を告げるアナウンスはありません。


・飲食店
貸しボート乗り場の土手側の飲食店はなくなっています。
画像は解体工事中のもの。撮影は2014年5月8日


・噴水
タイマーで噴水動作するようになっています。
昔もあったかどうか思い出せません。画像左にある天井部が球体のものは天文台


・桜
桜が開花していたのでびっくりして撮影したもの。幼木が多いので昔はなかったかも。


・鯉
池の一角で泳いでいる魚たち。こんなにいるとは。餌をあげる人がいるんでしょう。

 

記憶に残る名店(飲食店編)

今回は、閉店した名店レベルの飲食店中心に紹介させていただきます。
歴史に残る名店ですが、どの店も価格的に良心的でした。
そこに店はもうありません。


・居酒屋 よしえ
閉店は2019年末?1度入りました。
この店、なんとメニューは選べません。最初はびっくりしました。が、他の客と初対面でも和やかに会話し飲めるという不思議な雰囲気の店でした。
椅子は、プレミアムが付きそうな骨董品レベルのハイソなチエア。
一方通行の2条通りを東から西に向かって進むと、交差点停止時に店の中の様子が見えました。常連さんは背広を着た中年の管理職の方数人。
店があった場所は更地になってます。


・おでん屋 まき
閉店は2021年2月。2度入りました。隠れ家的名店。
ここのおでんは、味だけなら全国区、それも料亭レベル。価格は良心的価格設定。会計の時、申し訳ない気持ちになりました。
有難いことに、女将さんに関する記事が載っています。若い頃の写真を拝見したことがあります。
https://www.liner.jp/news/2020050825345/
https://twitter.com/hashtag/%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%8D
店があった場所は更地になってます。


・寿司 おかだ
閉店は2021年末。かれこれ20回は通いました。店主と奥さんの振る舞いは絶妙。
ランチの海鮮丼風のちらし寿司が有名。ネタではタコと中トロ。味噌汁は有名になる前の時期がとても美味しかった。寿司屋ですが、丼もの、特にカツ定食は絶品レベルでした。


・喫茶店 茶館
閉店は2010年3月。2000年くらいから10回くらい通いました。
店主は、昔近所に住んでいた方によく似ており、私のことを覚えていたようです。メニューは、食後のコーヒー付きの松花堂定食が定番。価格はいたって良心的。常連は年配の市職員さん数人。店の外は、溢れんばかりの鉢物で埋め尽くされ、赤いビロードの絨毯、きちんとした額縁に入った油絵が飾ってあり、天井、内装も凝っており、すべてに素晴らしい店でした。室内で咲くモモの花が満開となった時が最後の入店となりました。


・喫茶店 ペルタン
内装は、家具の街旭川にふさわしい出来栄えでした。内装だけで、銀座の喫茶店レベル、全国どこを探しても見当たらない店。メニューの他に、輸入品のレアモノのお菓子類があり、ドロップを買ったことがあります。
閉店最後の日は、店内で、常連さん参加と思われる、ろうそくパーティがありました。どうして閉店に至ったのかいまだに謎です。
閉店は2004年12月。店主は、同じマンションの住人?


・レストラン 仏蘭西
閉店は2023年9月。
若い頃、10回近く、就職後は30代2回、それ以降2回入りました。
最後に入店したのは2022年年末。コーヒーカップ、砂糖入れ、コーヒーの味までが開店当時とまったく変わらず、涙が出そうになりました。
30年くらい前のことですが、厨房に、長いcock帽を被った調理人、バーテンダー出身のおじさんがいたことを懐かしく思い出しております。
女将さんが実質店主のようで、生命保険外交で開店資金を貯めた、開店当時高校生のグループが退店した後さっと灰皿を片付けたとお聞きしました。
昼休みの時間帯、閉店の貼り紙あるのに玄関先は開いてます。リフォームされているのかもしれません。また、閉店後の玄関先の除雪状況から、近くに、ご家族かご親戚の方が経営する飲食店があるようです。

 

兜町 千代田書店の想い出

兜町にあった株式関係本の専門店が2009年閉店となったことを、つい最近になって知った。

 

兜町・千代田書店閉店
http://www.kamesan-investment.jp/article/13415318.html

千代田書店の閉店に想うこと
https://blog.goo.ne.jp/taohtaohgenki/e/3fe2c10a9cf3f1aee030e0738e2bbeff

 

この書店は、山種証券ビルの地下にあった。広さ100坪くらいのスペースに、株式関連本のみを扱っていた。ゴールデンチャートなどのチャートブックはもちろん、その辺の書店では見かけることがない株式売買の技法書、それも一冊1万円くらいのものが所せましと並んでいた。

 

 

株式売買の技法書と聞いて胡散くさい本と思う人がいるかもしれない。


株式売買をする人にはそれぞれ動機がある。
人間関係が煩わしく普通の仕事は二度としたくない、今の給料では納得できない、早期退職したい、店を持ちたい等々、人それぞれに事情がある。
紀伊国屋で平積みしてあったチャートブックを真剣なまなざしで読む、(証券投資に似合わない)やや派手な服装の絶世の美女を見かけたことがある。読み終えた時の悲し気な眼差しをずっと覚えている。


株式市場は、そういう(やむにやまれぬ)事情を抱えた人が参加する。


そういう事情を知っているためか、中小証券会社の社員は顧客にやさしい。店頭の株価ボードを昼休みに眺めていたところ、親世代の方から「株でしっかり稼げるようになりなさい」と励まされたこともあった。その方は、かなりマイナーな銘柄で儲けていた。

私の場合、特定の上司との折り合いが悪く、それも時の首相のように人事権を行使することで自己満足に浸るタイプだったため、左遷人事を喰らったことをきっかけに、(生き残りを賭け)売買技法に関する株式投資本を大量に買い、単身赴任先で夕食後に読みふけった。

 

兜町の株式関連本専門書店の存在は、書店流通しない本を購入した時に店舗の住所等の情報で知った。出張の機会を利用して立ち寄り、記念に、江戸時代の米相場で相場師として有名だった本間相久の本を購入した。出版社は投資レーダー。この出版社は良心的な売買技法書で知られている。

時代は変わり、この正月から日経平均は史上最高値を三十数年ぶりに更新した。原動力の一つとして、売買益・配当無税の特典付きのNISA枠で個人投資家による株式購入が挙げられる。

 

https://honkawa2.sakura.ne.jp/5075.html



 

かくいう私も、利回りの良い銘柄、一株資産モノサシで、割安な日本を代表する銘柄を長期保有目的でNISA口座で正月以降少しずつ買い増した。

 

株式取引で継続的に利益を上げ続けることは、仕事よりも難しいことは承知しているつもりだが、(部下の足を平気で引っ張る上司に仕えた経験から、自分の知識と経験と能力が正当に評価された結果として)株式投資で利益を得た経験は何事にも代えがたい。

日経平均株価の上昇が今後数年間見込めそうなので、今度上京した際は、千代田書店の屋号を引き継いだ書店が神田にあるそうなので行ってみるつもりである。

 

ビジネスブックス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

旭川駅の記憶

新駅舎は2011年に完成していますが、私の記憶は旧旭川駅舎のまま止まっています。
新しい駅舎を受入れられないのです。

画像はいずれも2005年頃撮影のものです。

 

駅方向から見えた買い物公園

駅に見送りにき、入場券を購入したのは、2度。見送ったのは、父の上司、オルガン教室でご一緒した北陸銀行支店長の娘さん一家でした。

覚えていることは三つ。
修学旅行、専用列車で乗車、車掌さんは同級生のお父さんでした。
入社式の日は、駅まで父の車で送ってもらいました。
札幌方面に出かける幼馴染を偶然見かけ、券売機売り場の前で見送ったことが旧駅舎最後の想い出となりました。